ミャンマーの夜明け
2011年テインセイン政権誕生とその民主主義的な政策により、ミャンマーに対するアメリカの態度に変化が見られるようになった。11年11月ヒラリークリントン国務長官がまず露払いでヤンゴンを訪問した。12年3月からは、アメリカの経済制裁解除の動きが本格的になった。
同年11月19日にオバマ大統領がミャンマーに乗り込んだ。翌日には 大きな赤色のコカ・コーラの看板がヤンゴンの街にあふれた。この日からミャンマーは劇的に変わると私は直観した。
ヤンゴンへ は、ANAとベトナム航空の格安料金が運航しているとの連絡があった。クレジットカードも使えない時期、現金前払いでトレーダスホテル(現スーレー シャングリラホテル)一泊250ドルで予約した。 満室が續き、なかなか予約が取れない時期であった。VISAを申請に御殿山のミャンマー大使館前には50mの列ができて、このミャンマー詣では久しく続いた。
日本が開発する “ティラワ団地” 予定地は牛の放牧地のようでのんびりしていた、JICAの開発予定地図で位置を確認できた。何度かミャンマーに通っていると、サービスアパート建設の候補地を紹介することができた。しかし、ヤンゴン市の建設許可の取得には約2年かかった。街には日本人向けビジネスホテル、 居酒屋、ナイトクラブ、無償の日本語の月刊誌、新聞が発行されて来た。
タイ、ベトナム、マレーシア、シンガポール、インドネシア、フイリピン、ラオス、カンボジア、ブルネイに続く日本のサプライチエンの一翼を担う国になって欲しい。アセアン10ヶ国で一番の親日国なので私は期待しています。
ミャンマーの夜明けに 立ち会って来て感慨深いです。
三宅 紘一 2020.5.30.